映画・『越前竹人形』(1963年)・『御...

原始・古代

<旧石器時代>
 ・県内には遺跡が各地に点在しており、約1万5000年前から人が住んでいた事が窺える。三国町の西下向・雄島・馬コロバシ遺跡や永平寺町の木橋遺跡、南幅遺跡などからはナイフ型石器(三国型と命名)や掻器などの多数の石器が出土している。
<縄文時代>
 ・鳥浜貝塚(若狭町)からは草創期の縄文式土器(隆起線文・斜格子文土器)をはじめ竪穴式住居跡や丸木舟、弓矢、土器に模様をつけるための縄などが出土している。その他、県内各地の遺跡からも多くの遺物が出土し、土器の形式から畿内や飛騨国などの地域との交流があったことがうかがえる。
<弥生時代>
 ・前期頃には稲作が伝わったとみられ、それを窺わせる土器が出土している。
 ・金属器、玉、布の生産も行われていたようである。嶺北は銅鐸が出土した日本海側の北限である。
 ・中期頃には首長の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。
<古墳時代>
 ・4世紀初め頃には嶺北で前方後円墳がつくられはじめ、4世紀中頃からは九頭竜川中流域で大規模な古墳がつくられはじめる。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や六呂瀬山古墳群(4世紀後半〜5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていた事がうかがえる。
 ・5世紀になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳がつくられはじめる。
 ・5世紀後半から6世紀にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四国造が分立した。三国国造があった地域は、継体天皇がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である継体天皇がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と越国の勢力とが合一した。
 ・570年〜574年、高句麗使が越国近辺に来着する。
 ・継体天皇以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。
 ・6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な円墳や群集墳がつくられはじめるが、7世紀になると古墳自体つくられなくなる。

概要

山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北(越前地方)と、南側の嶺南(若狭地方)より構成される。

越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように、自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。

地理上は北陸地方または中部地方と分類されるが、一部の行政管轄区分おいて近畿地方とされる場合もある。

漫画

 ・『蔵の宿』(1999年)
 ・『GA 芸術科アートデザインクラス』(2004年)
 ・『鉄人ガンマ10巻』(2005年)
 ・『ミカるんX』(2007年)
 ・『ちはやふる』(2008年)